Sponsored Link

恋/其の参

濃紺の闇に包まれた世界を、静かに進みゆく列車。
淡い橙色に彩られた車内に人影はなく。

やがて、するすると減速し、列車は終点に到着した。

1番線しかない、小さな小さな田舎の駅。
短いホームにこぢんまりとした駅舎。
切符を渡し、僕は駅から外へ出た。

薄ぼんやりとした街灯に照らされた、小さなタクシープール。
暗闇にたたずむ、錆びた観光案内。
一緒に降りた人々は、三々五々、どこかへ散ってゆく。

店じまいした商店街に人影はなく。

「駅を出たら左、だったっけ」

少女の不思議な笑顔を思い出しながら、僕は歩き出した。

シャッターの下りた商店街に、僕の足跡が響く。
ぼこぼこのアスファルト。
のびる影は輪郭もおぼろで。

ふと見ると、前方に橙色の光が見えた。
半分シャッターのしまりかけたその店に、看板はない。

「ここ、かな」

僕はおそるおそる店内に入った。

横の棚には、ガラス瓶に詰められた幾種類もの煎餅。
正面のガラスケースにも、きつね色の煎餅が、幾枚も行儀良く並んでいる。

そのガラスケースの向こう。
横を向いて座り込んでいるのは。

ここのご主人だろうか。

「いらっしゃい」
「桃色のお煎餅、ありますか」
「桃色の煎餅?」
「ここで売っていると聞きました。桃の香りのする煎餅を」
「………」

頑固そうな主人の瞳が、僕を鋭く見つめている。
思わず僕は手を握りしめた。

「こっちへ、おいで」

不意に、僕に背を向け、主人は店の奥へと入っていった。
一瞬、躊躇したものの、僕は好奇心に負け、足音を忍ばせて後についていった。

「ほら、ご覧」

主人の座る前に、炭が赤々と燃えていた。
慣れた手つきで金網を火にかけると、金箸を手に取った。
近くに置かれた木製の板の上に置かれた煎餅の種を、1枚、金網に載せる。

見つめる先で、煎餅が変化してゆく。

曲がり、縮み。

と、突如、桃色の光がどこからともなく、煎餅に吸い込まれていった。

また一つ。また、一つ。
柔らかく淡い光が、辺りを照らしながら次々に舞い込んできては、煎餅に溶けてゆく。

気づくと、煎餅は淡い桃色に染まっていた。

「これが、恋の煎餅さ。食べてごらん」

主人に促されるまま、できたての桃色の煎餅を、かじった。

焼きたての香ばしさの中に広がる淡い桃の香りは、
軽い眩暈のような揺らめきを残し、
僕の口の中で、
名残惜しそうに、
消えた。

(2004.04.02)

目次

Home